自転車は誰にとっても身近な乗り物だ。通勤・通学に買い物、旅の足として行動範囲を大いに広げてくれる。ところが、ひとたび身体にトラブルを抱えてしまうと、生活の一部であった自転車が運転できなくなることもある。
『優U(ゆうゆう)』は一見するとごく普通の自転車だが、ひざが曲げにくい高齢者でも無理なく運転できるシティサイクルだ。東京都荒川区にあるオーダーメイド専門工房の株式会社マツダ自転車工場が「もう一度自転車のある生活を送れるように」と15年前から製造・販売している。
購入者は、交通事故で障がいを負った若者から、ひざに違和感を覚えはじめた40代主婦、変型性ひざ関節症の84歳と老若男女問わない。宣伝をほとんどしていないにもかかわらず口コミが広まり、医療関係者からの問い合わせもある隠れたヒット商品だ。
そのほか同社では、競輪競走用自転車をはじめとした幅広い用途のモデルを展開している。フレームはすべて乗り手一人ひとりの目的や身体に合わせたハンドメイド。同社の『LEVEL(レベル)』といえば、サイクリストの間では言わずと知れたブランドだ。
競輪選手や自転車愛好家のようなヘビーユーザーの注文に応えることで鍛えられた製造技術は、優Uにもふんだんに活かされている。
フレーム素材にクロモリが最適な理由
自転車の胴体にして生命線であるフレームの素材は、競輪用と同じ「クロモリ(クロムモリブデン鋼)」を採用している。アルミやカーボンなど軽量素材が出回る中で、同社専務取締役の松田裕道さん(46歳)は振動吸収性と剛性の高さから、鉄製フレームのクロモリを勧める。
「フレームには、路面のデコボコからくる振動を吸収するサスペンションの役目があります。クロモリは乗り味がしなやかで、長距離の移動でも疲れにくいといわれています」
フレームビルダーと呼ばれる職人にとって、フレーム作りは腕の見せどころだ。材料となるパイプを設計寸法通りに切削し、ロウ付けと呼ばれる溶接方法でパイプ同士を接合させる。このロウ付けの良し悪しが、フレームの精度に影響をおよぼすという。
「加熱による歪みを取り除く作業を『芯とり』といって、自転車の性能を左右する重要な工程です。きちんと芯とりをして、“芯が出ている自転車”はスーッと進みます。お客さまは『ペダルを踏んだ分だけ進んでくれる』と言われますね」
乗り手を熟慮したベストバランス
素材の良さを最大限引き出しつつ、トータルバランスを考えた設計も同社ならでは。
ひざを痛めた人にとって、自転車の乗り降りは第一関門と言っていい。優Uのフレームは超低床をうたうだけあり、足をまたぐ部分のフレームの高さは地面から18センチしかなく、駅の階段を上れる人であれば楽々またぐことができる。
サドルの高さは、万が一に備えて、座った状態でもすぐに両足がかかとまで地面に着くように低めにセット。そこで問題となるのがひざの曲がり具合だが、その分サドルを後ろに下げることで、ひざまわりが窮屈にならない工夫がされている。
また、バランス感覚は加齢に伴い低下する。高齢者には安定性に優れた自転車が望ましく、よく見かけるのが三輪車タイプだ。たしかに転倒しにくいものの、いかにも“お年寄り”という印象が否めず、抵抗を感じる人も少なくない。
優Uの開発にあたっては、特異な存在感のないデザインを心がけ、前後の車輪の間隔を広くすることで安定性も考慮している。
買っていただいているのは技術や整備
ところでLEVELが評価されている理由――。それは乗り手と対話しながら作り上げていくところにある。
経験に裏打ちされたたしかな技術は競輪選手からも絶大な信頼を得ており、約2300人いるうちの約130人がLEVELユーザーだという。その中には全国で9人しかいない最高ランクのSS選手もいて、選手によっては何十台も継続して注文があるほどだ。
「乗る方の感覚は、直接お話ししないと分からないですよね。エンドユーザーが分からない既製品に対して、我々は要望に応じて作る。お客さまが求めるものとのマッチングはだいぶ違ってくると思います。デザインや価格というより、技術面とか整備面といった“見えない部分”を買っていただいていると思っています」
優Uにおいてもじっくりとヒアリングを行い、症状に合わせた部品をカスタマイズしてくれる。
例えば、クランクの長さは脚の可動域に合わせて調整する。左ひざが曲がりにくい場合は、左のクランクだけを極端に短くする。すると左脚をほとんど動かすことなく、残った右脚の踏み込みでペダルを漕ぐことができるのだ。
「遠方の方でも一度はお越しいただくようにお願いしています。実際にまたがってもらわないと、ひざが曲がる角度や漕いだ時の痛みが分からないんです。バランスがきちんととれるか、道路で試運転もしてもらいます。普通に乗れることを確認してからでないとお売りできませんから」
こうして出来上がった優Uの標準仕様価格は12万円(税抜き)。カラーはワインレッドとシャンパンゴールドの2色展開。そのほかオプション料金5000円で、32色から好きな色を選ぶことも可能だ。
チャレンジ精神が生んだ数々の名機
マツダ自転車工場のある荒川区は、かつて自転車関連企業300社ほどが軒を連ねる一大集積地だった。ところが1973年のオイルショックで国内市場は縮小し、さらに大手メーカーの安売り攻勢により淘汰された。
そうした厳しい時代から40年以上にわたり同社を舵取りしてきたのが、代表取締役でありマスタービルダーの松田志行さん(72歳)だ。
活路を開くべくオーダーメイド自転車の製造に着手したのは1975年のこと。以来、先進的なものづくりへのチャレンジは続き、1983年にはCADシステムによるコンピューター設計を業界で初めて導入した。
翌年の大阪サイクルショーでは、ブレーキ本体やワイヤー類をフレームの中に入れた「オール内蔵レーサー」を出展して一大センセーションを巻き起こしたり、2008年の北京パラリンピックに出場した三輪ロードレーサーを手がけたこともあった。
京成本線新三河島駅近くのショールームには、歴代の傑作が並ぶ。その奥には工房があり、志行さんが作業する様子を窓越しに見ることができる。
日本のまちづくりの一翼を担う存在に
ニーズがあれば車種にこだわらない同社だが、いま市場が拡大している電動アシスト自転車だけは見当たらない。その理由について裕道さんは次のように説明する。
「自転車は移動のための道具だけでなく、健康器具的な側面もあります。人間はつい楽な方を選択しがちですが、できるだけ自分の力で漕いで使っていただきたいと考えているんです」
筋力を衰えさせないようにすることは、病気の予防やリハビリにもなる。これらのメリットを考えれば、優Uの12万円という価格は安いくらいかもしれない。
「弊社は、自転車ではなくて満足を売っています。その中でも、優Uは『これがないと生活が成り立たない』と言っていただける自転車です。その気持ちを大事にしながら、お客さま本位のものづくりを継続していきたいですね」
現在、スポーツ自転車の人気に後押しされ、自転車による地域活性化を推進する動きが全国各地で起きている。イベントにはサイクリストが集まり、地域への経済波及効果も期待されている。だが、それは多くの地域にとって非日常の光景。
優Uなら、高齢者が街に繰り出す機会を増やし、日常的なにぎわいづくりの一翼を担うことができるのではないだろうか。超高齢化社会を目の前に、そんな未来を想像した。
株式会社マツダ自転車工場
東京都荒川区東尾久1-2-4 map
03-5692-6531
月曜~土曜12:00~18:30 / 日曜・祝日12:00~17:00
水曜定休
http://www.level-cycle.com/