「おかえりなさい」が言える日まで。外国人宿 澤の屋の生き抜く決意

「おかえりなさい」が言える日まで。外国人宿 澤の屋の生き抜く決意

「澤の屋がつぶれたら、小さい旅館はやっぱりダメかと思われる。だからなんとか同じ形のままで生き残れるよう頑張りたいんです」

台東区谷中にある日本随一の外国人宿『旅館 澤の屋』の主人・澤功さん(83歳)は、新型コロナの影響で宿泊客が激減する中、決して志を曲げない決意です。

圧倒的人気の理由

和室12部屋を家族5人で切り盛りする澤の屋。外国人向けに軸足を移してから、およそ39年間で92ヶ国延べ20万人の外国人客を迎えてきました。その9割は地理的・文化的に離れた欧米やオセアニアからのFIT(Foreign Independent Tourist)です。

FITとはパッケージツアーや団体旅行を利用せずに、個人で海外旅行の手配をする人々のこと。半月以上かけて全国を旅する人も多く、1泊何万円とするホテルではなく数千円で泊まれる宿を好みます。

澤の屋の宿泊料は、バス・トイレ共用の4畳半で5830円(税込)。世界最大の旅行サイト・トリップアドバイザーの口コミ評価をもとにした『トラベラーズチョイス ホテルアワード』を2012年から連続受賞し、殿堂入りするほどFITから圧倒的な支持を獲得しています。

ちなみに澤さんは片言の英語しかできませんが、相手の目を見て真摯に対応。旅行代理店や宿泊予約サイトは通さず、電話またはメールによる直販のみにも関わらず、客室稼働率90パーセント台の水準を維持してきました。

「紙に書いたりお互いに辞書を引いたりして、相手の言おうとすることを知ってあげようとすれば大丈夫。言葉に堪能になるよりも、迎える心を持つほうが大切なんです」

20年以上前から澤さんは全国各地に出向いて講演を行っています。その数なんと600回以上。外国人客おもてなしの秘訣を惜しみなく共有する姿勢が評価され、2009年には観光庁からVISIT JAPAN大使に任命されました。

外国人が求めているものとは

澤さんが1年かけて700人を超える宿泊外国人客に実施したアンケートによると、澤の屋を宿泊先として選んだ理由として最も多いのが「伝統な和室があるから」なんだそう。

どの部屋も典型的な和室で、畳の上の布団が気持ちいいと評判。窓の障子から柔らかな光が差し込みます。床の間に掛け軸が飾られていたり、からかみで部屋が仕切られているのも外国人にとっては新鮮に映るそうです。

築50年以上の鉄筋3階建ての建物は毎年少しずつ手を入れており、内外装とも落ち着いた雰囲気に満ちています。

また、旅慣れた人ほど異国の日常を知りたいと思うもの。家族旅館はもってこいの場所なのだとか。

「あるカナダ人のご夫婦は、大泣きするうちの孫が抱きかかえられて幼稚園バスに乗せられていたのがこの旅で一番面白かったと(笑)。ありのままがいいんだってね」

正月には門松や鏡餅を飾って獅子舞を披露。冬至の柚子湯やこどもの日の菖蒲湯など、日本の年中行事も外国人にとっては感動的な体験です。

谷中・根津・千駄木の“谷根千”と呼ばれるエリアも魅力の一つ。古い町並みと下町文化があちこちに残る一方で、外国人を特別扱いしない気風があり、日本に住んでいるようだと喜ばれています。

「ずっと覚えている旅の思い出というのは、人との触れ合いではないでしょうか。うちの場合はそれが町の人になっているんです」

素泊まりが原則の澤の屋では、朝食としてシンプルなトーストセット(440円税込)の用意があるものの、夕食は採算が合わず、ずいぶん前に止めました。その代わりに旅館周辺の地図を作って、近所の飲食店を利用してもらうようにしています。

巧まずして地域にお金が回り、世界の旅行者に谷根千が知られるようになり、草の根国際交流にも寄与しているのです。

前代未聞の危機に直面して

外国人宿として盤石の人気を維持する澤の屋。ところが2020年4月、新型コロナウイルスの世界的な流行により、その月に入っていた600人の予約がゼロになりました。阪神淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件、東日本大震災が起きた年ですら経験しなかった非常事態です。

「毎日お風呂のお湯を沸かしているんだから利用してもらおう」

館内が真っ暗になった4月3日、日帰り貸切入浴をスタートしました。

ヒノキ風呂と陶器風呂はそれぞれ2~3人が入れる広さで、1組45分・大人500円(税込)。大半の家庭が自家風呂を備える中、「澤の屋が大変だから」と近所の人たちが利用しています。

「うちに泊まる外国のお客さまが町にお世話になっていて、今度は澤の屋が町のおかげで助かっている。宿でお客さまを囲むのではなく、町とつながっていたおかげかな」

外国人客は朝のシャワーで済ますことが多く、コロナ禍前は掃除に手間取られることはなかったそうですが、今は清掃と消毒に追われるほどです。

「旅館からお風呂屋さんに変わったねって話しているんですよ(笑)」

予想以上のテレワーク需要

続いて4月9日、近所の人の勧めでテレワーク利用を想定したデイユースの部屋貸しを開始しました。客室と1階ダイニングルームが利用でき、コーヒーやお茶が飲み放題。無料Wi-Fiも使えて、時間は9時から19時までで3300円(税込)。

不忍通りから一歩入った場所にある澤の屋周辺は、文豪の足跡が残る、比較的静かな環境です。

和室にこもって作業して、気分転換したいときは、小窓から坪庭が見える宿の風呂で心と身体をリフレッシュしたり、谷中の美味しいものを食べに出かけたり。

利用者は、「おばあちゃんの家みたい。疲れたら畳の上でゴロリと横になれる」と和室ならではの良さを楽しんでいる様子。

日帰り貸切入浴とともに期間限定をうたっていますが、新型コロナが収束するまで続ける予定です。

再会を心のともしびに

日本人客は回復傾向にあるものの、外国人客は当分期待できない状況が続く宿泊業界ですが、澤の屋は2021年4月の予約がすでに114人も入っています。

その中には家族ぐるみの付き合いをしている人も。「行けるようになったらすぐ行くからね」という応援の手紙やメールが世界中から寄せられています。

「お得意さまの顔が浮かんでくるんです。その人たちが日本を再訪したときに澤の屋がなくなってしまったら、どんなにつまらないか」

相思相愛の関係にある常連客と会える日を信じて、澤さんは力強く語ります。

「自分たちが変わらずにいることが一番喜ばれると思うんです。なんとか“今までの澤の屋”を保って、お客さまを『おかえりなさい』って迎えたいですね」

旅館 澤の屋
東京都台東区谷中2-3-11 map
03-3822-2251
http://www.sawanoya.com